彼と解雇予告除外認定と私|STORY3▶「彼と紙皿と私」

元労働Gメンの視点

少し愁いを帯びたような田中の表情は、いつもの爽やかさとは違う魅力をたたえていて、今泉は息が止まりそうになった。
「……わからない?」

これは、解雇をテーマにしたショートストーリーです。

舞台は、架空の商社・林檎物産。

人事係長の今泉は、上司である人事部長から、営業課長・田中の解雇予告除外認定の申請を行うよう指示されます。

かつて、ただならぬ関わりのあった田中が、会社の金を横領した——。

その事実に動揺しながらも、今泉は、労働基準監督署に相談しながら手続きを進めていきます。

全5話でお届けするショートストーリー。
今回はその第3話です。

このショートストーリーは、拙著
知らなかったでは済まされない労働者の解雇に関わるルールについて元労働Gメンが解説!
の一部に収録されているストーリーをもとにしています。

本編のあとには、解雇に関する簡単な解説を付しています。

本編:STORY3▶「彼と紙皿と私」

「ビールってまだあるー? こっち、なくなっちゃったんだけど!」

包丁でキャベツを切る手を止めると、今泉は振り返って答えた。

「そっちのクーラーボックスに入ってると思いまーす!」

林檎物産の青年部のレクリエーションで、今泉はキャンプ場に来ていた。

青年部は三十歳以下の社員の集まりで、人数は二十人ほど。若手の交流を目的として創業当初から活動があると聞いている。

バーベキューが始まって一時間以上経過し、そろそろ焼きそばの準備をしようということで、今泉を含む三名で焼きそばの具材を刻んでいた。

バーベキューコンロを囲んで若手社員が楽しそうに会話する声をラジオのように聞きながら、今泉は野菜を切る手を動かし続けた。

「俺も手伝うよ」

腕まくりをしながら今泉の隣に立ったのは、営業第一課の田中だ。

先日は、田中が助け船を出してくれたおかげで、いつも提出期限を破る営業の鈴木に領収証を出させることに成功した。

「そんな、いいですよ。田中さんはどうぞ、あちらで飲んでいてください」

田中は今泉より五歳程年上で、そろそろ青年部を卒業するはずだ。

「こういうことは、人数が多いほど早く終わるから」

そう言って田中は、今泉の隣でニンジンを切り始めた。

切り終えた野菜をバーベキューコンロのそばに運び、その流れで二人は焼きそばを作り始めた。

「あの、田中さん」

「ん?」

田中は両手でトングをもって、豪快に野菜を炒めている。

「この間、助けていただいた時……私は初めてご挨拶したと思ったんですけど、その前から私のことをご存じだったんですか?」

田中は黙って野菜を炒めている。周りはこんなにも騒がしいのに、鉄板から聞こえるジュウジュウという音だけがやけに耳に入ってきた。

「……今泉さんはさ、結婚ってどう思う?」

「え、結婚、ですか?」

突然の問いかけに、今泉はとまどった。

「えーと、そうですね……いつかはしたいと思いますけど、まだ具体的なイメージはわかないですね。今は彼氏もいませんし」

(はっ! これじゃ田中さんへの「今フリーです」アピールみたいじゃない!)

「あ、そろそろ麺いれよっか」

「は、はい!」

「今フリーです」アピールについて田中が気にしていないようで、今泉はホッとしながら鉄板に麺を落としていった。

「相手がいないと具体的な行動につながらないっていうのは、俺もそうかもなー。ていうか、彼女自体、いいなって思う相手をみつけて初めて欲しいと思うタイプでさ。特にそういう相手がいない時は、彼女欲しい願望すらない方で」

田中は缶ビールを麺にかけて、蒸し焼きにしている。ほんのりとアルコールの匂いが鉄板の周りに漂った。

「だけど……結婚って、本人が具体的にイメージできているかどうかとは関係なく、急に降ってくることもあるんだよな」

(結婚が、降ってくる?)

今泉がソースを準備して田中を見ると、田中は前を向いたまま焼きそばをほぐし混ぜていた。

「……俺、結婚することになったんだ。専務のお嬢さんとお見合いしてね。急にそういうことになって」

今泉はソースのボトルを落としそうになった。なんとか持ち直すと、隣の田中を見上げる。

「お、おめでとうございます!」

できる限りの笑顔で今泉が田中を見ると、田中から爽やかな笑顔が返ってきた。

(うっ、まぶしー。なんだか、恋が始まってもないのに失恋した気分)

「ありがとう。そろそろ、ソースかけようか」

今泉が麵の上からソースをかけると、ジューという音とともに、食欲をそそるなんともいい香りが立った。

「えーと、ということは、専務のお嬢さんと出会って、結婚を具体的にイメージすることができた、ってことですね」

田中が手際よく混ぜ合わせ、焼きそばはそろそろ出来上がりだ。今泉は取り分けるための紙皿を用意した。

「うーん、そういう話ではないかな。『仕事が恋人』ってぐらい仕事に打ち込んでいたらそこに突然結婚が降ってきて、そんなタイミングなのになぜか、『恋人』を具体的にイメージさせる女の子に出会ったりするもんなんだなって」

(うーんんん? 田中さんが言いたいことって、一体……?)

今泉は二十枚の紙皿のうちの一枚を田中に手渡しながら、田中の言葉を理解しようと想像をめぐらせた。

「えーと、つまり……田中さんは結婚が決まった。それなのに、結婚を揺るがすような女性と出会ってしまった……ってことですか? よほど魅力的な女性なんでしょうね。どこのどなたですか」

田中がなかなか紙皿を受け取らないので、今泉は隣の田中を見上げた。

田中も、こちらを見ていた。

少し愁いを帯びたような田中の表情は、いつもの爽やかさとは違う魅力をたたえていて、今泉は息が止まりそうになった。

「……わからない?」

田中の言葉が耳に届いた瞬間、今泉の手から紙皿が落ち、ちょうど吹いてきた風で二十枚の紙皿が舞って、若者たちが総動員で紙皿を追いかけることになったのだった……。

STORY4につづくー

解説:解雇か退職か-判断ミスがトラブルの入り口

解雇をめぐるトラブルの中でも、特に多いのが「解雇なのか、退職なのか」という認識の違いです。

実務では、会社側は「退職」と考えているのに対し、労働者は「解雇された」と認識しているケースが少なくありません。

この認識のズレが、労働基準監督署に持ち込まれる解雇トラブルの中でも、最も多いパターンです。

そもそも、退職とは労働者側から労働契約を終了させる意思表示であり、解雇は会社側から労働契約を終了させるものです。

つまり、「どちらが契約を終了させたのか」が大きな違いとなります。

時々見られるのが、労働者は「解雇された」と認識しているにもかかわらず、会社から退職届の提出を求められるケースです。

退職届は本来、労働者が自ら退職する場合に提出するものですから、解雇の場合に提出を求めるのは適切ではありません。

しかし現実には、会社から言われるままに退職届を提出してしまい、結果として形式上は「自己都合退職」として扱われてしまうケースも少なくありません。

このような事態の背景には、「離職には退職届が必要」という誤解や、会社側が解雇として扱いたくないという事情があることも考えられます。

そして本質的な問題は、労働者は「解雇された」と考えているのに、会社側は「退職した」と認識しているという、労使間の認識の不一致にあります。

この認識のズレがあるまま手続きを進めてしまうと、雇用保険や再就職への影響など、労働者に不利な結果となるおそれがあります。

解雇と退職の違いをあいまいなままにして対応すると、思わぬトラブルに発展するおそれがあります。

基本的な考え方を押さえたうえで、慎重に判断することが求められます。

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