彼と解雇予告除外認定と私|STORY4▶「彼の過去と罪と」

元労働Gメンの視点

(何が、正解だったのだろうか。
あの時、勇気を出して田中さんの手をつかんでおけば、田中さんの人生は違うものになったのだろうか……?)

これは、解雇をテーマにしたショートストーリーです。

舞台は、架空の商社・林檎物産。

人事係長の今泉は、上司である人事部長から、営業課長・田中の解雇予告除外認定の申請を行うよう指示されます。

かつて、ただならぬ関わりのあった田中が、会社の金を横領した——。

その事実に動揺しながらも、今泉は、労働基準監督署に相談しながら手続きを進めていきます。

全5話でお届けするショートストーリー。
今回はその第4話です。

このショートストーリーは、拙著
知らなかったでは済まされない労働者の解雇に関わるルールについて元労働Gメンが解説!
の一部に収録されているストーリーをもとにしています。

本編のあとには、解雇に関する簡単な解説を付しています。

本編:STORY4▶「彼の過去と罪と」

会議室から、社長を含む役員五人がぞろぞろと出てくるのが見えた。

役員の一人――今泉の上司である人事部長の門脇が、今泉に気が付いて手を上げた。

その後ろから会議室を出てきたのは――。

(田中さん……)

一時間程前から、田中の懲罰委員会が会議室で開かれていた。

懲罰委員会を終えた田中は、きちんとスーツを着ているが、表情に生気がなく、疲れ切っているように見える。

田中は今泉の視線に気が付くと、気まずそうに目をそらした。

懲罰委員会において田中が横領の事実を認めたことを、門脇が今泉に耳打ちした。

「予定通りに、頼む」

田中が全面的に横領を認めた場合は、この後自認書を田中に書かせる予定にしていたのだ。

今泉はうなずくと、人事部に併設された会議室に田中と門倉を案内した。

三人で着席すると、今泉は田中に自認書の用紙と記入例を提示した。

「横領の事実を認める自認書を記入していただけますか」

「はい」

田中が自認書を書き始めたのを確認すると、門倉が今泉に外に出るよう合図した。

今泉が会議室の外に出ると、後から出てきた門倉が大きくため息をついた。

「実際より少額の請求金額で作成した請求書を偽造し、受領した代金との差額を懐に入れていたそうだ」

(金額が大きい取引は口座振込だから、現金で受領する小口の取引の請求書を偽造したのね)

二年間にわたって繰り返し横領行為を行った結果、横領金額の総額は五百万円にのぼったという。

「自認書には、具体的な金額を入れさせてほしい。それから、『必ず返します』の一言もな」

「わかりました。ただ……実際のところ、懲戒解雇になって職を失うのに、五百万円もの大金、返すことができるのでしょうか?」

「返さないなら刑事告発することになる」

「!」

門倉の言葉を聞いて、今泉は顔から血の気が引くのを感じた。

(刑事告発だなんて……確かに、五百万円の横領はただ事ではない。でも……有罪になれば、懲役になってしまうの? 前科もついてしまうのでは)

「門倉部長! 社長がお呼びです」

門倉が呼び出されて行ってしまったので、今泉は一人で会議室に戻ると田中の前に座った。

記入例を見ながら、田中は丁寧な字で自認書を書いていたが、急に手を止めると、思い切ったように顔を上げた。

「今泉さん、久しぶりだね。こんな形で話すことになるなんて、本当に情けないけど……」

「正直言って、とても驚きました。どうして横領なんて……」

田中は自認書に視線を落とすと、ため息をついた。

「借金の保証人になったんだ。一千万円。事業の開業資金だと聞いていた。馬鹿な話だけど、そいつは親友だったから、まさか裏切られるなんて思ってもみなかったんだ。借金取りから会社に電話がかかってきた時は、全身が震えたよ」

田中は悲しげな笑みを浮かべた。

「自分の給料からじゃ、毎月利息を払うだけで精一杯でね。元金を減らさなければ一生他人の借金を払い続ける人生になるのかと思うと、ぞっとしたんだ。だからって、会社の金に手を付けた言い訳にはもちろんならないけど」

「奥様は……ご存じだったんですか?」

今泉の問いかけに、田中は首を振った。

十年前、田中は当時の専務の娘と結婚した。元々実力のあった田中は、専務に目をかけられることで社内の立場もめきめきと上がり、最年少で営業第一課の課長になった。いずれは役員になるものと誰もが思っていた。

義父である専務は勇退したが、田中の立場はすでに盤石になっていた。

「妻には……借金を背負ったなんて、とても言えなかったよ。だから、隠れて金を工面するしかなかった」

田中は再びペンを持つと、自認書の続きを書き始めた。

五分程書き続け、田中は自認書を完成させた。

「これで、どうかな?」

田中に渡された自認書を、今泉は受け取って確認した。

「……はい。いいと思います。記入例に沿っています」

今泉が顔を上げて田中を見ると、田中はあの時の表情をしていた――紙皿が空に舞った、あの時だ。

「田中さん……」

「借金のことがなくても、結局、俺は妻の前で本当の自分でいられたことはなかったよ」

「え?」

「上司の娘だからね。誤解しないでほしいんだけど、妻は別に高飛車な女でも我が儘な女でもなかったよ。だけど、俺にとっては上司が家にいるみたいだった。だから、いつもいい顔をみせていないといけなかった……」

今泉は、黙って田中の顔を見つめ続けた。

「でも……なんでかなあ。昔も今も、君の顔を見ていると、不思議と心が安らぐような気がするんだ。はじめは、営業部まで何度も領収証の取り立てに来る君を、一生懸命で可愛いなって見ていただけなんだけど……人生のタイミングって、難しいね」

田中の言葉に、今泉は胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。

「あの! 失礼ですけど、五百万円を返すあてはあるんですか?」

「……ないよ」

今泉は、膝の上で両手を握りしめた。

「門倉部長が、返せなければ刑事告発だって……。私、独身の頃から貯めてきた貯金があるんです。だから……」

(田中さんが刑務所に入るなんて、そんなこと絶対に……)

「ありがとう。だけど、それはできないよ」

「でも……」

「心配かけてすまないね。これで妻とも離婚になるだろうし、うちは子供もいない。男一人なら、なんでもいいから働いて返していくよ」

「田中さん……」

「今泉さん。こんなことしでかしてといて言うことじゃないけど、金を借りるなんて、君に対してそんなカッコ悪いことはしたくないんだ」

今泉はうつむいて、握りしめた両手を見つめた。

(何が、正解だったのだろうか。あの時、勇気を出して田中さんの手をつかんでおけば、田中さんの人生は違うものになったのだろうか……?)

STORY5につづくー

解説:解雇――労使双方のデメリット

解雇は、問題のある労働者に対する対応としてやむを得ない場合もありますが、実は会社側・労働者側の双方にとって、少なからずデメリットがあるものです。

まず、会社側のデメリットとして大きいのが、助成金が受けられなくなる可能性があるという点です。

労働局による助成金の多くは雇用の維持を目的としているため、「解雇していないこと」が支給要件となっている場合があるのです。

また、もう一つ見落とせないのが、解雇理由をめぐってトラブルになる可能性があるという点です。

「解雇の理由」が適正かどうかは判断が難しく、労働者が納得しなければ「不当解雇」として争いになることもあります。

場合によっては裁判に発展することもあり、解雇は常に訴訟リスクと隣り合わせであると言えます。

そのため、解雇に至るまでの経緯や労使双方の言動については、記録を残しておくことが重要です。

一方で、労働者側にもデメリットはあります。

解雇の場合、雇用保険は「会社都合」として扱われ、原則として給付制限なく基本手当を受給できますが、懲戒解雇の場合は給付制限がかかる点には注意が必要です。

また、再就職活動においても、解雇された事実をどのように説明するかが課題となります。

履歴書には「会社都合により退職」と記載するのが一般的と言われていますが、面接で解雇理由を問われることもあり、説明の仕方によって印象が左右されることもあります。

このように、解雇は会社側・労働者側の双方に影響を及ぼすものであり、安易な判断は、大きなリスクにつながります。

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